東京大学先端科学技術研究センター 代謝医学分野 酒井研究室

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エピゲノム修飾 -ヒストンH3の9番目のリジンの脱メチル化制御- は肥満・インスリン抵抗性を始めとした生活習慣病の発症に重要である

2009年08月01日 00時00分00秒 (#47)

Inagaki T, Tachibana M, Magoori K, Kudo H, Tanaka T, Okamura M, Naito M, Kodama T, Shinkai Y, Sakai J*(* corresponding author).
Obesity and metabolic syndrome in histone demethylase JHDM2a-deficient mice.
Genes Cells. 14, 991-1001, 2009. [DOI] [PubMed]

このたび、東京大学先端科学技術研究センター 代謝医学分野と京都大学ウィルス研究所の眞貝洋一教授らとの研究グループによって、エピゲノム制御(ヒストンH3の9番目のリジンのメチル化)が肥満・インスリン抵抗性を始めとした生活習慣病の発症に大変重要である知見が明らかにされ、8月14日号のGenes to Cellsに掲載されました。

哺乳類の細胞では、DNAは8分子のヒストンタンパク質に巻き付いてクロマチンという構造をとります。DNAメチル化や複数のヒストン修飾によって形成されるクロマチン高次構造がその付近の遺伝子の発現を規定します。例えばヒストンH3の9番目のアミノ酸リジン(H3K9と略される)がメチル化されると、この領域は閉鎖型のクロマチンとなり転写活性化因子がアクセスしにくい閉鎖型クロマチンとなり、遺伝子の転写活性化能は抑制されます。

このように、DNAの塩基配列の変化を伴わずに、遺伝子の発現を制御する仕組みをエピジェネティックス機構といいます。エピジェネティックスの機構はDNAのメチル化、ヒストンの翻訳後修飾、DNAとタンパク質の複合体であるクロマチンで成り立っており、このように修飾されたゲノムをエピゲノム(注1)と呼びます。

近年、このヒストンのメチル化は可逆的であることが解明されつつあります。Jumonji C (JmjC)ドメインを持った蛋白の多くに脱メチル化酵素活性化があることが明らかにされ、中でもJHDM2A(別名JMJD1A)と命名された蛋白はH3K9の脱メチル化酵素です。

H3K9のメチル化が脂肪細胞分化に関与することから(Wakabayashi K et al, Mol Cell Biol. 2009, 13: 3544-3555)Jhdm2aのノックアウトマウスを解析したところ、予想外にもこのマウスは顕著な肥満マウスとなりました。このマウスは通常食餌下で、肥満(野生型と比べ5ヶ月で30%程度増加)に高脂血症、耐糖能異常、高インスリン血症をともなった、人におけるメタボッリック症候群あるいは生活習慣病とも言える表現型を示しました。このマウスでは絶食下における体温維持能が低下し、夜間の呼吸商(注2)は野生型マウスに比べて高値を示しました。

このことはJhdm2aノックアウトマウスは、脂肪を燃やしにくい体質、肥満になりやすい体質であることを示しております。トランスクリプトーム解析では、白色脂肪細胞で最も多く遺伝子発現の変動が見られ、ヒトのリンケージ解析で同定されたⅡ型糖尿病に関与している遺伝子(adamts9)、グルコース取り込みに関与する遺伝子(Glut4)、また、脂肪細胞へ脂肪を蓄積に関与する遺伝子でさらに遺伝子改変マウスで肥満になることが示されている遺伝子(ApoC1)などの変動が観察され、これらが肥満やインスリン抵抗性の原因の一部を担っていると考えられました。

補足解説

肥満と環境そしてエピゲノム

肥満は多遺伝子疾患であり、環境因子との関わりもまた大きな要因です。継続的なカロリー過剰は肥満を始めとした生活習慣病の原因となります。また、一方で、「肥満しやすい体質」というも存在します。これは、遺伝素因(DNAの塩基配列)によるところが大きいと考えられてきましたが、栄養環境を含めた環境要因が影響を与えていることが、臨床知見などから明らかにされつつあります。

例えば、一卵性双生児の追跡スタディーでは肥満発症における遺伝性素因は最高でも70%の寄与率しかないといわれ(一卵性双生児の場合、生活環境はほぼ同一である場合が多いですが)、遺伝素因と環境要因の相互作用が疾患発症に重要であると考えられています。低出生児体重時に関する追跡調査から心疾患や2型糖尿病や肥満など生活習慣病の発症率が高くなるという報告もあります。その機序として母体内で栄養不足の低出生体重児は、少ない栄養を効率よくエネルギー源として利用できるように適応し、通常の栄養を受ける環境におかれた場合には、相対的な過栄養状態になり、肥満になりやすいという仮説が挙げられています(Barker仮説)。

また、同様の知見を示すオランダ飢饉(Dutch famine)の疫学調査があります。第二次世界大戦時1944〜1945年にナチスドイツの政略によりオランダの一部ではひどい食糧難に陥り、飢饉となりました。このオランダ飢饉を経験した母親の出生児は成人後に肥満や耐糖能生涯を発症しやすいという。これらの報告は環境が体質を変える、ということを強く示唆し、ヒトに於いて母体内での環境が肥満しやすい体質、すなわちDNAの塩基配列を介さない遺伝形式、すなわちエピゲノム変化として記憶されていることが示唆されます。

細胞外の環境変化は細胞内シグナリングを介してゲノムに伝え、ゲノムが修飾され、エピゲノムの変化として記憶されていきます。本研究はゲノムの修飾によって生活習慣病が発症することを示した報告です。

用語解説

(注1)エピゲノム

DNA塩基配列以外の(1)DNAのメチル化 と (2)ヒストンの修飾(メチル化、アセチル化、SUMO化、リン酸化、ユビキチン化 など)で維持・伝達される遺伝情報。エピゲノムは、受精卵でリセットされ、生まれた後に環境により書き換えられていく。ヒストンはアミノ酸がメチル化されるなどの修飾をうけ、複製の時にこのヒストン修飾も複製され記憶として受け継がれる。エピゲノムが変化することにより、同じゲノムから人間では200種類の異なった細胞が作られる。環境の変化により修飾される遺伝情報がエピゲノムであり、がんや生活習慣病にも鍵となる。

(注2)呼吸商

糖質と脂肪の燃焼の比率。呼吸商は、通常1から0.8程度の数値で表される。数字が小さい方が、脂肪燃焼の割合が高いことを意味する。脂肪をよく燃焼している場合の呼吸商は0.8程度、脂肪を燃焼していない場合は1.0になる。エネルギー源として体脂肪を上手に利用できない人は、呼吸商が全体的に高めの傾向にあり、反対に体脂肪を上手に燃焼している人は安静時の呼吸商が低めである傾向にある。呼吸商の計算方法は次の式で求められる。
呼吸商=呼気に含まれるにCO2(二酸化炭素)の量÷吸気に含まれるO2(酸素)の量

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